虎ノ門の交差点を曲がった先に、
それは突然、現れていた。
コンクリートの無機質な建物。
大きな看板はない。
あるのは、一般の家と変わらない小さな表札だけ。
それでも迷うことはなかった。
なぜなら、人の列が、そこに店があることを教えてくれていたから。
スーツ姿の人たちが、無言で並んでいる。
それが、港屋の唯一の目印だった。
記憶に残っているのは、味よりも“状態”かもしれない
港屋の蕎麦を思い出すとき、
最初に浮かぶのは「味」ではない。
中太で、なんとも言えないコシ。
食べ応えはあるのに、
女性でも不思議と ズズッといけてしまう麺。
甘辛く、少し強気な汁。
ラー油の存在感。
もちろん、それらは確かに美味しかった。
でも、
並んで、食べて、すぐに店を出る
あの一連の流れごと、記憶に残っている。
長居をする場所ではないのに、
なぜか印象だけが強く残る。
「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか」では、違った
港屋が突然なくなったあと、
弟子たちの店が生まれた。
私が当時伺ったのは、新橋駅近くの
「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか」。
でも、店構えからして真逆だった。
明るく、分かりやすく、
コンセプトを前に出している。
味の話ではない。
そもそも別のものだと感じた。
コンビニで販売されていたあのカップ麺もそうだった。
あの麺の感じは、
どうやっても再現できないと思った。
私はずっと、
「もう、あの港屋はないのだ」と
どこかで区切りをつけていた。
羽田空港での、予想外の再会
2025年、年末。
羽田空港を歩いていたときのこと。
ふと目に入った
「肉蕎麦」の立て看板。
美味しそうだな、と思って近づいた瞬間、
そこにあったのは (港屋) の文字だった。
もしや、と思って店をよく見ると、
暗くて、少し高級感のある空気。
あのときの雰囲気に、驚くほど近い。
あとから知ったが、
メルセデス・ベンツとのコラボ空間だったらしい。
蕎麦を受け取った瞬間、記憶が重なった
蕎麦を受け取ったとき、
私は一瞬、時間が戻った気がした。
あのときと同じ出立ちの蕎麦。
味も、記憶の中のそれと、ほとんど変わらない。
虎ノ門で並んでいた光景が、
ふっと浮かぶ。
これが、こんなところで再会できるなんて。
私は一人で、静かに感動していた。
港屋は、味の話だけではなかった
港屋が特別だった理由は、
「蕎麦にラー油を入れたから」ではない。
- 看板がないこと
- 並ぶことが前提だったこと
- 長居をしない空気
- それでも、記憶に残ってしまうこと
すべてが重なって、
あの店は成立していた。
あれは、
味を完成させる店ではなく、
印象を残す店だったのだと思う。
だからこそ、
あとから同じものを追いかけても、
どこか違う気がしていたのかもしれない。
そして今、思うこと
港屋は、なくなったわけではなかった。
形を変えて、
場所を変えて、
ちゃんと、続いていた。
でも、
あの虎ノ門の交差点で並んでいた時間は、
もう二度と再現できない。
だからこそ、
羽田での再会は、
ただの「美味しい蕎麦」以上のものだった。
記憶と味が、
静かに重なった瞬間だった。
